思考を操るもの。語順そのものが、人が物事を考えるプロセスとなっている。 日本語と英語、中国語の語順の違いは、動詞の位置にある。 すなわち、日本語は結論を最後に言い、英語、中国語は先に言う。 両者の発想に違いが見られるのは、物を考える順序が違うからである。
生活、文化背景を理解して、真のコミュニケーションをとること。言葉の持つ背景が影響しない情報(例えば医療英語単語等)のやりとりは出来ても、人の暮らし、行動に関することは、生活の中に溶け込まないと理解が難しい。
外国人である者が医療に携わる時、その現場で言葉の持つ背景が影響しない生理学的な現象(例えば分娩等)については、持ち合わせる技能を発揮しやすいと言える。 手術についても、術野を作ってしまえば、患者自身が生身の人間としてではなく、「モノ化」してとらえられ、その人となりは見えない。しかし看護とは、患者の体を通して、その人の暮らしに働きかけをしていくことである。その人の暮らしの中で何が普通なのか、つまり、文化的な背景をふまえて接していかないと、良かれと思った善意にすれ違いが起こる。
その国に根付く文化、言葉が持つニュアンスというフィルターを通して状況を適切に変換し、ふさわしい言葉で表現し、伝えること。価値観とは言わば、個々の異文化の接し合いで、国を越えると、自国との共通部分は少なくなる。国際的な活躍を目指すには、その溝を埋める姿勢を持って臨むことが必要。
日米の文化、価値観の相違は、
・自己決定・自己責任⇔お互い様
・分業・棲み分け⇔重複・カバー
・個人が優先⇔共同体優先
・狩猟民族⇔農耕民族
・自然と対峙⇔自然と共生
と特徴付けられる。サミュエル・ハンチントンは、著書「文明の衝突」の中で、人の 帰属を示すものは、空間でも政治思想でもなく、文化・文明であると述べている。
人類の戦いは、信念とエネルギー(食料)の確保を目指して、繰り返されてきたと 言える。アジア圏は土地が肥沃で、生きていく、つまり、食料を手に入れる環境が 整っていた為、別の場所へ食料を取りに行かずに事足りていた。そこでは、恵まれた 自然の摂理に逆らわずに共存していくこと、目の前にある土地や収穫物を構成員で どのように分配するかが重要であり、その秩序の均衡を保つためにルールが絶対的な 拘束力を持っていた。そのため、ぬけがけは許されず、調和が重んじられていた。権利 主張はせず、共同体で支え合うのである。
一方、成熟した文化を持ち合わせたヨーロッパを離れ、新大陸に渡って来た人々は、 必要なものがなければ、それがあるところを探し求めて取りに行くという狩猟の生活 を送っていたため、その土地に執着することはなく、生きるのに必要な領土をどのよう に広げていくかを命題としていた。その手段として、奪って手に入れるという発想も あるのである。
日米の文化・価値観が上記のように特徴付けられる根底にあるものは、農耕民族(日) と狩猟民族(米)という文明の違いである。
(1)病院と医師との関係 -デパート本体と各小売り専門店
日本では、医師は従業員として病院に勤務し、言わば、共同体の一メンバーの ようである。しかしアメリカにおける病院と医師は、例えるなら、デパート (病院)に専門店(医師)が出店しているような関係にあり、自分の医療技術や 知識を認めてもらう場として、病院が存在すると考えるのである。両者が互いに よりクオリティの高いものを提示することにより、自分に有利に交渉を進めよう とする。よって、両者には常に緊張関係にあるが、組織としての連帯感は希薄で ある。医師は、病院が持ち合わせる医療技術が自分のそれに見合わないと感じれ ばより高い施設を求めて転院し、一方病院は、たとえ収益に貢献した医師であって も、技術が落ちたと判断すれば解雇するのである。このような実情は、雇用の 不安定化をもたらすと危惧されている。新しい試みとして、アメリカでは従来、 発想として芽生えにくかった終身雇用制度を、コーチが導入した。技術を継承して いくためには、その品質を支えている従業員を会社で囲み込むことが必要と考えた からである。しかし、終身雇用は、アメリカでは根付いていない。
(2)診療報酬制度 -医師への報酬と入院経費
医師への報酬は、日本では「横並び」が多いのに対し、アメリカでは、同じ職能 でも契約条件の違いにより、大きく異なる。どのくらいのパフォーマンス(収益に 結びつく技術)を披露出来るかにより、給与が変わるからである。言わないことは 要求されていないと見なされるため、謙遜することなく、自分を主張する。一方、 日本では遠慮がちに主張をし、その意図が汲み取られる、察せられることを期待する のである。
(3)医療費決定のプロセス -サービスは無形の財
サービスは、無形の財とも言われ、形には見えないが価値あるものである。 日本では無料で享受できると考えられがちだが、価値あるものなので、代価の 支払いが必要である。医療は、保存が出来ない、瞬間的に消える無形の財である。
日本では、医療を受けた病院、医師に関わらず、医療費は均等配分である。 しかし、アメリカでは医師から提示のあった金額に対し、自己責任の下、承諾、 あるいは、交渉して医療費を決定する。
医療人口は、アメリカ3億、日本1億1千万と言われ、人口に対する医療職者の 割合は、両国に差はない。しかし、医療職者が患者に遭遇するのは、病院内のベッド であることを考えると、床数に対する医療職者の割合から密度を算出すべきである。
アメリカでは、ナーシングホームや介護を中心とした施設を病床と数えないため、 日本と比較すると、その数は少ない。更に、人口が3倍なので、1床に占める医療職者の 割合は、日本の3分の1となり、一人の医師・看護師にかかる負担は大きい。
病院の支出の中で最も多いのは、人件費である。病院と医師の関係が日米で異なる ため、雇用に対する意識も両国で異なる。終身雇用が根付いている日本では、一人を 雇用することは、億単位の投資をするのと同じ意味を持つ。つまり、年収500万の 医療職者を30年雇用するには、1億5000万円の費用が必要と考えるのである。経営者 にとって、雇用は大きな決断なのである。
日本もアメリカも看護教育の仕組みは複雑であるが、大きく違う点は、職能と権限 によって、役割が明確なことである。アメリカの看護職には、
Registered Nurse(RN)
Licensed Practicing Nurse(LPN)
Certified Nurse Aide(CNA)
がある。
CNAは、規定の訓練、認定を受け、患者の清拭、体位変換、バイタルサイン測定を 行なう。RNやLPNの役割は、マネジメント全般である。主に、服薬業務を行ない、 その責任を負う。日本では、患者本人が薬を管理するが、アメリカでは、RNが行なう。 申し送り等で得た情報を集約し、業務を確認する。ケアプランを立て、その進行を コントロールする。このように、同じ看護職でも、求められている役割が異なるのである。
アメリカでは高校卒業後、community college、あるいは、collegeへの進学の道が ある。コミュニティカレッジとは、限定したトピックのスキルを習熟させるための、 地域の職能訓練校のような学校である。アメリカの看護学校は、3年教育が伝統的で あったが、4年教育、2年教育に再編成された。しかし、2年教育については、医療技 術だけでなく、人の心の琴線に触れ、命を預かる看護師免許の学習期間十分であるのか という懸念がある。にもかかわらず、2年教育プログラムが受け入れられているのは、 4年教育と取得できる免許の種類が同じだからである。時間とお金への投資が少なくて すむ。教育もビジネスであり、どんなに優れた学校であっても、入学志願者がいなけれ ば、廃校となってしまうのである。
日本には、
専門看護師(CNS)
認定看護師(CEN)
認定看護管理者
助産師
の看護職者がいるが、現在、CNSは下火である。というのも、関係者のために勉強に 取り組み、自分の経験、知識を生かそうにも、その場がなく、報われないからである。 日本では「横並び」を良いとするので、「飛び抜ける」と足を引っ張られるのである。 農耕民族の文明思想が見え隠れする。CNSがどのくらいの収益を生むのか、その価値 が見出されなければ、認められることは難しい。
上級実践看護職の一つに、ナース・プラクティショナー(診療看護師:NP)がある。 自分で独立し、処方までの権限を持つ仕事である。職能が収益に結びつく為、アメリカ では、歓迎されている。外来を行なうことが出来るので、医師を配置する人件費削減に つながり、間口も広がる(診療できる患者数が増える)からである。個人が持ち合わせ る技能であるが、医療制度の下で採用されている。処方の責任を負うとは、生死に 関わる責任も負うということであり、取得には厳しいトレーニングが課せられている。
医療をめぐる仕組みや制度は、常に動いている。「国際的」には、国の規範や規則が 関係なくなるという側面と、国の規範や規則に対応しなければならないという側面の 両面がある。その両面を熟知して自分のビジョンを持ち、どこに向かいたいのかを決め、 見聞を広げることが必要である。勉強しているうちに、自然と道が決まることなどはない。
「何故」と疑問を持った時には、文明レベルに戻って考えてみると、発想の違いの理由 が紐解けるかも知れない。「理解する」と「同意して従う」は異なる。理解した上で自分が 判断を下し、その判断に納得することが、国際舞台での活躍に求められる姿勢である。
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