今回は、カンボジアの医療事情についてお聞きしました。皆さんもご存じのように、カンボジアは40年前に内戦があり、知識階層の人々が殺害されたといわれています。少し歴史に触れ、これが医療にどのような影響をあたえているのか聞いてみました。
現在の医療事情
内戦後に、生き延びた医師や医学教育を受けた医師達がクリニックを開業したり、総合病院を経営していますが、カンボジア全体の医療水準はいまだ国際水準ではないといわれています。各科の専門医も少なく、手術が必要な場合は、ベトナム、バンコクやシンガポールに搬送されることになります。例えば、がんの治療でタイに行き、500万以上の治療費を請求され、借金を抱えるケースや、ベトナムに行って中耳炎の手術を受けたと思っていたら、実は耳の後ろに小さな穴を少し開けただけで、医師は手術したといい、高額な手術代を支払わされて帰ってきたというケースもあります。病院選びを間違えると、このような恐ろしい結果になるので、国内でも国外でも安心、安全な医療を受けられる病院は多くないのが現状のようです。
医療システム
<医師>
2000年にようやく医師の国家資格が一部導入され、Doctor’s Councilに医師免許を登録する制度が出来ました。外国人医師もカンボジアで働く場合、登録する必要があります。医師として国家資格に合格した者は、インターンとしてのトレーニングを数年受け、各科の専門医になります。インターン時の給料は$300-500/月。日本のインターンのように病院の全科を回るのではなく、外科や内科など希望の科に自分で応募し働くというシステムです。中には、海外で医療資格をとるカンボジア人もいるようです。
<看護師>
カンボジアの看護師には国家資格という制度はまだなく、3年の専門学校または4年大学(2008年開校)を卒業しCertificateをもらう事で看護師として働けるシステムになっています。学校により教育内容が違うため個々のレベルも様々です。例を挙げると、ある国立病院の看護学生の実技の実習で、患者相手に採血を5回行ったら採血の実技は終了となります。1人の患者で4回失敗し5回目で入っても大丈夫のようです。また、実技の中で日本にないのは、縫合針による傷の縫合です。表面麻酔を看護師が行い、患者の傷を縫合していきます。患者の記録を書くカルテなどなく、看護記録、看護計画などもありません。一方、私立の国際病院で働く看護師は、日本と同じような医療システムで運営されているため、看護記録があり、医療関係者とは英語でコミュニケーションが図れるカンボア人看護師が働いています。
また、2003年からJICAの協力により、カンボジアの保健省と共同で、近い将来看護師の国家資格制度が導入されるようです。
現在、カンボジアの看護師の数は、看護師5186名、准看護師3534名(2008年 National Health Statistic)。
カンボジアの薬事情
カンボジアでは、抗生剤や排卵誘発剤など一般の薬局では売ってないような薬も薬局で買えます。知識のない人による売薬を購入し、その後のトラブルが多い状況です。例えば、皮膚炎のかゆみに対して白癬菌の軟膏を塗るよう薬局の人に勧められたといって一向に治らず、皮膚科を受診した人や、風邪の症状に抗生剤を数種類も勧められた人など、医療者から見ると信じられない話を耳にします。安全な薬を手に入れるには、信頼のおける医師からの処方が必要ですが、病院にかかるお金がない人達には、薬局の薬を手に入れるのがやっとの状況だといえます。
カンボジアの医療事情どうでしたか?歴史からみてもわかるように、医師や専門家がまだまだ不足した状況であること、看護師は国家資格がまだないことなどお分かりいただけたと思います。次回は、クリニックの仕事を通して、カンボジア人と働く事ってどういう事なのか、文化の違いが浮き彫りになる話が聞けそうです。お楽しみに!
森本 博美さん
日本・ニュージーランド・カンボジア看護師
国内で看護師として病棟・外来の臨床経験を経て、保健師として保健所に勤務。その後、ニュージーランドへ渡りワーキングホリデーを体験後、看護師免許を取得。クライストチャーチのPublic Hospitalの整形外科病棟に6年、老人ホームに約2年勤務。2014年にカンボジアに渡り、現在日系クリニックで看護師として活躍中。
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歴史的な観点から
カンボジアでは1970年代に始まったポルポト政権により、農村共産主義化を急速に進めるため、ブルジョア思想(金儲けを最優先する階級の人達)を持っていると思われた、旧政権関係者、富裕層、各種専門家達(医者、教師、技術者)は虐殺されました。これによって、医師、助産師、看護師などの医療者のほとんどがいなくなり、内戦後に生き延びた医師は約20~40人といわれ、内戦中に医療システムも崩壊してしまいました。