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医療という無形の財について その2 〜その背景について日米の比較を通して〜

米国と日本の比較

米国の国土の面積は日本の国土の26倍もありとても広い。実際カリフォルニア州だけでも日本の国土より広い。さらに日本は海岸まで山が迫っているが、米国は東海岸からずっと平原が続き、西の方に山脈があってそこを越えて西海岸になるため、居住可能な面積は日本の26倍どころではなく、もっともっと広い。それに対して米国の人口は3億3千万人で日本の1億2千6百万人の約2.6倍であり、単純に国土の面積だけみても米国は日本よりも10倍広々と暮らしている。

医療従事者について、医師数を比べると米国が約2.7倍多く、看護職員数も日本に比べて米国は約2.6倍多い。米国は日本に比べ人口が2.6倍多く、医師数も2.6倍、看護師職員数も2.6倍多いことから、人口あたりの医療従事者数はほぼ同じとなる。実際の数字でも人口千人あたりの医師数は日本が2.4人で米国が2.6人、人口千人当たりの看護職員数は日本が10.5人で米国が11.1人とほぼ変わらない。しかしあくまでこれは人口当たりの話である。

ところで医療者はどこで患者さんと出会うのか。町中で出会うのであるならば10倍面積が広いので出会う確率は米国では日本の10分の1、人々の集団の中で出会うならば確率は米国でも日本でもほぼ同じである。

街中で出会い頭に会うわけでもなく、普通日常生活において人々が集まっている中で会うわけでもない。人が医療を必要としているところで出会うが、それは医療機関であり、さらに医療機関で患者さんはどこにいるかを考えると、結局は患者として使うベッドで患者と医療者が出会うことになる。

そこでベッド数を比べると実は日本の方が米国よりも多い。米国は人口が日本よりも2.6倍も多いのにベッド数は日本の半分程しかない。いわゆる急性期病床と扱われる病床数でみても、実は日本よりも人口が多い米国の方が急性期の病床数が少ない。人口千人当たりのベッド数は、日本は千人当たり13床あるが、米国は2.9床しかなく、人口当たりのベッドは米国では日本の4分の1ないし5分の1程しかない。

米国の社会背景

米国では、広い国土があり、それもまんべんなく人が住んでいるわけでない。人の集まる都市部のみならず、まばらな生活空間にも医療は必要であるが、現実として空間的なアクセスが非常に悪いところが少なくない。それに比べ日本は確かにアクセスが悪い所もありドクターヘリも飛ぶが、道路などのインフラが充実してきた昨今では救急車で1時間走ってたどり着けないところはあまりない。さらに米国では病床が少ないということと、日本よりも社会経済格差があり、さらには人種や性差に対する障壁も低くない。このように様々な理由からも米国では医療へのアクセスの困難さは深刻である。

医療ケアはタダではないわけで、その値段のつけ方が一律ではなく、売り手と買い手で決めることになると、どうしても命を預ける側の方の立場が弱くならざるを得ない。提供者側が圧倒的に優位になるため、当然ながら医療費は高騰していく。高騰した場合に支払いができなければ、医療のアクセスを諦める人が出てくる。実際に癌の集学的な治療のために1千万円ほどかかり自己破産する者は稀ではない。

このように日本では考えられない背景があるのも米国である。

医療提供体制についての国際比較

ちなみに米国に限らず他のOECD諸国と比べても、人口当たりの医師数や看護職員数はそうは変わらないが、ベッド当たりにすると圧倒的に違う。ドイツやフランスに比べ日本は3分の1程のマンパワーで医療を提供しているのである。医療は人の知識や技術、経験が財として交換され、医療におけるコストの大部分は人件費である。その人件費を日本では米国の5分の1に抑えているからこれだけの質の高い医療でありながら、いつでも個人の持ち出しが少なくて提供できているのである。

2022年10月24日
特定非営利活動法人プロフェッショナルイングリッシュコミュニケーション協会
理事長 山内 豊明(医学博士・看護学博士)
名古屋大学 名誉教授

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