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医療という無形の財について その3 〜何を選んで何を諦めるか〜

隣の芝生は青い:3時間待ち3分診療

日本だと3時間も待たされて、3分間しか診てもらえないというニュアンスになるが、逆に言えば3時間待てば必ず診てもらえる。欧米では受診予約がなければ3日待っても診てもらえない。

たとえば英国ではゲートキーパーである「かかりつけ医」をあらかじめ指名しておかなければならず、そのジェネラリストとしての「かかりつけ医」を受診して専門医を紹介されなければ、専門診療科を受診できない。目が痒くなって「ものもらい(麦粒腫)」になった場合、日本でならば直接眼科を受診しその日に診てもらい点眼薬を受け取ることができる。英国だと、まず自分自身の「かかりつけ医」に連絡をするが、自分の「かかりつけ医」の診察予約を取れるのが1週間程先になり、1週間後に「かかりつけ医」を受診した頃には「ものもらい(麦粒腫)」が治りかけいて、実際には眼科まで行かなかったりする。通り道はあるけれど限りなく細く長い道なのである。

ただ、どうしても隣の芝生は青く見えるので、「3時間待ち3分診療」を「こんなに待たされて、これだけか」という意味合いとして耳にしてしまうのも致し方ないことではあろう。その際に「欧米では約束がなければ3時間待ったって診てくれませんよ」と言ったところで、必ず診てもらえるのがデフォルトと認識している者にとっては「欧米ではそうであろうが、、、」という気持ちになるのも当然であろう。

隣の畑はいつも豊作:高品質な医療

米国は非常に高度な最先端の医療もあるが、それにアクセスする空間的な障壁や、実はもっと深刻な経済的な障壁がある。米国のクリニックで診てもらうと初診料は1万円から2万円である。その1万円、2万円の初診料が払えないので受診せず、もっと具合が悪くなり、最終的にどうにもならなくて救急外来に駆け込むという者は少なからずいる。救急外来で30分間ほど診てもらうと何十万円という請求書が来る。医療保険未加入者が、いざ医療が必要になった時には救急外来に駆け込むことになるが、その者からはお金が取れないとなると結局は病院の持ち出しとなる。コミュニティの病院となればその持ち出し分は最終的には地域住民が負担することになる。

そのようなことからフロリダ州のある町では掛け金を町で負担した医療保険を不法移民に無料配布した。その者たちが具合悪くなって救急外来でもっとお金がかかることと比べたら医療保険の無料配布の方が経済的であるという判断である。日本では思いもつかないことであろうが、これも米国の現実である。

もちろん日本でも高品質な医療を受けることできる。ただ日本の場合は、支払いさえできれば好きに受けられるということになると、支払いができない者はその医療を受けられないことになってしまうことになり、日本の医療保険の基本理念と合わなくなってしまう。この部分は自腹で、他は保険でという混合診療は原則禁止である。もしも高い医療を買うのならば保険を一切使わずに全額自費で、という選択肢しかない。米国では自分が具合悪くなった時、自分の資産をどう使おうがそれは自分の勝手であるということが通る世界である。

アクセスの良さ・品質の高さ・低廉さの3つはどう考えても同時には成り立たない。その中で何に重きを置くか、言い換えれば何を諦めるかはその文化のもつ価値観によって決まってくるのである。米国の医療はすごく高品質だといわれるが、その値段やアクセスに関しては必ずしも楽なものはない。日本の場合は、皆がある程度のクオリティでよいということだが、その「ある程度」の程度は実はかなりハイレベルである。その上にこんなにアクセスがいいというのは実に見事なことで、日本の医療はよそからみると非常に誇れるものである。ただ、これが成り立っている背景には、医療者の多大なる献身と犠牲があるということも忘れてはならない。

2022年10月31日
特定非営利活動法人プロフェッショナルイングリッシュコミュニケーション協会
理事長 山内 豊明(医学博士・看護学博士)
名古屋大学 名誉教授

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