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「私のRN体験記~アメリカ編~」
第3回 看護師資格取得と看護師の仕事

日本生まれ日本育ち、病院に無縁だった私が、なぜアメリカの大学に留学してカリフォルニア州の看護師への道をたどったのか。アメリカの大学生活・看護学生生活・看護師の仕事など、その道のりを振り返りながら英語学習過程も含めて3回のシリーズでお届けします。

第3回
看護師資格取得と看護師の仕事


看護の厳しさ、そしてそれを英語で行う難しさを再認識しながら学ぶ中で、卒業と就職を考える時期になりました。

【当時のアメリカの看護師事情と外国人看護師】

外国人留学生は学生ビザでアメリカに留学していますので、アメリカ国内で仕事をするためには就労ビザが必要となります。 私が留学した当初はアメリカ国内での看護師不足から、外国人看護師や留学中の看護学生も多くの病院から就労ビザサポートをもらえていましたが、私が看護学部に入った年から、外国人看護師の就労ビザ取得が困難になり始めました。 アメリカの政策変更により自国民の看護師育成に力を入れ始めたためです。しかし、幸いにも私は、人材紹介会社から就労ビザサポート可能な病院を紹介してもらい、12月卒業の年の夏頃には就職内定をもらうことができました。

【看護師試験受験と資格取得】

内定をもらい少し安心すると、今度は卒業後の正看護師試験(NCLEX-RN)受験のタイミングを計り、計画的に勉強する必要がありました。 大学で指定されたATIという教材をベースに、NCLEX-RNのテキストを何冊か購入して地道に勉強しました。NCLEX-RNは学部卒業後にいつでも受験可能なため、卒業間近にはライセンスを発行する州に受験申請し、自分が受験可能なセンターの受験日を選んで申し込みます。 試験はパソコンによるコンピューター形式で、自分が答えた結果により次の質問が選ばれ、最短75問、最大265問、最長6時間というその人の能力によって変化するものです。私は、最大6時間の試験に耐えられるように、勉強も6時間続け、休憩のタイミングやベストな食べ物などをシミュレーションして、本番に対応できるように準備しました。 卒業後は早めに受験した方が合格しやすいとの声があったため、卒業2か月後に受験し、無事に合格となり看護師免許を取得できました。

【アメリカ看護師としての新人時代】

カリフォルニア州正看護師免許を取得し、ロサンゼルス郡にある病院での看護師生活が始まりました。 私はデイナースという日勤担当看護師として、朝7時から夜7時の12時間シフトで週3日勤務しました。12時間集中して連日仕事をすると3日目の昼くらいには集中力が欠けるため、患者さんの安全を考えて2日働いて休みを入れるようにしました。 ただし、急に看護師の欠員が出ると、早朝にチーフナースから勤務要請の電話があり、シフトが崩れることもありました。担当は当日の朝に確認し、自分と看護助手の2人で患者5人担当か、自分と准看護師と看護助手の3人で約10人の患者を担当する2パターンがありました。 チームナーシングということもあり、看護師は医師をはじめとするコメディカル(呼吸療法士・理学療法士・作業療法士・言語療法士・薬剤師・栄養士など)の中心となり、リーダーシップ力・マネージメント力を発揮しながらチームをまとめます。 新人であっても看護師である責任は変わらず、チーム内の専門家らと協力しながら、患者や家族の代弁者として最善の看護を提供する毎日は、勉強と学びの連続でした。そして、異なった国や環境で育った人々で構成される多国籍チームで働く中で「言わなくてもわかる」は当たり前ではなく「言わなければわからないし伝わらない」ということを痛感しました。

【アメリカで働く看護師としての苦労とやりがい】

看護師として苦労したことは、まず、患者さんの初対面の全身状態アセスメントやIVラインを取ることです。肌や目・髪の色などが違い、ぜい肉や筋肉が多いなど、それぞれに対応した知識と技術が必要で苦労しました。 次に、それぞれの要求や主張への対応です。日系アメリカ人のように寒くても我慢して何も言わない患者さんもいれば、別のカルチャーの家族からは、寝たきりの患者に常にリップクリームを塗ることを要求されるなどの差があり、主張の強弱のバランスを取って対応する必要がありました。 また、コメディカルや他の看護師に必要な仕事を依頼しても「You do it」などと言われ、自分の負担になる仕事は受けてもらえないこともありました。 それでも、仕事をスムーズに行うには、それぞれの多様性に柔軟に対応するコミュニケーションが必要で、頻回な痰吸引を呼吸療法士に頼むときは「I can do it as a nurse, but as the respiratory professional, would you do it please?」(私が看護師としてできるけれど、呼吸器のプロとしてあなたが行ってくれませんか?)などと言ってお願いしました。

そんな中でも楽しかったことは、日替わりで色やスタイルの違うスクラブを着ることで、患者さんが「I like that color!」などと声をかけてくれて会話が弾んだことです。 子供の日・ハロウィン・クリスマスなどの祝日は、イラストのスクラブを着て、家に帰れない患者さんに祝日気分を感じて喜んでもらい、患者さんの一日を少しでも良いものにできたことが喜びでした。 仕事の際に、そのように仕事着を選べる自由があったことも、アメリカで働く楽しさのひとつでした。

英語での悪戦苦闘もあり、楽しいことも苦しいこともありましたが、看護師という仕事に誇りをもって働き、チームの中心となって患者さんにより良い看護が提供できたときは、人の命の手助けをする看護という仕事のやりがいを感じました。 そして異国で暮らす患者さんなどに「あなたがいてくれてよかった」と言われたときは、看護という仕事をして感謝される尊さを感じ、苦労したけれどアメリカで看護師になって良かったと実感しました。

執筆者

鈴木規子(米国看護師、保健学修士)、看護大学英語非常勤講師

アメリカ・カリフォルニア州の2つのCommunity CollegeでAssociate Degree in NursingとNatural Scienceを取得。NCLEX-RN合格後、L.A.カウンティの長期療養病院勤務、在宅看護を経て日本に帰国。 神戸大学保健学研究科看護学領域実践看護学修士課程修了、看護大学助教として慢性期看護学・老年看護学・看護英語教育に従事後、現在は看護大学などで英語授業を担当する。

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